在日コリアン Q&A

在日コリアン Q&A

◇在日コリアンとは?

日本の植民地支配によって日本に渡り、敗戦後も日本で生活するようになった朝鮮人とその子孫たちのことです。「在日」、「在日韓国人」、「在日朝鮮人」ともいいます。このような様々な呼び方は、在日同胞社会の歴史的情況や立場が反映されています。
在日韓人歴史資料館では個人の信条、所属団体、あるいは国籍の如何にとらわれず、あくまでも客観的な視点から歴史事実を集め、史料中心の基本理念に基づき、世界各地で使われる「韓人」という名称を館名にしました。

◇なぜ大勢の朝鮮人が、植民地期に日本に渡ったのですか?

在日コリアンの歴史を語る上で植民地支配は欠かせないことです。
事実上日本の植民地支配が始まったとされる1905年、第二次日韓協約(乙巳条約)が締結され外交権を失った朝鮮は、1910年「韓国併合」により正式に日本の植民地となりました。
まず日本の植民地支配が行ったことは、朝鮮の土地調査事業と産米計画でした。農耕地を奪われ、食べることに困った朝鮮の農民たちは、第一次世界大戦後、好況で労働力を求めていた日本へ渡るようになります。1920年後半から30年代にかけて、毎年8万から15万人の朝鮮人が海を渡りました。1930年代末には戦争による徴用、徴兵も伴い72万人以上が日本へ動員され、解放直後の1945年、朝鮮人の数は約200万人にも達しました。
1945年8月15日の解放(日本敗戦)までの36年の植民地政策は、収奪と差別そのものでした。

◇なぜ朝鮮人は、解放後日本に残ったのですか?

いつか必ず、恋しい故郷に帰国することを胸に、過酷な労働にも耐えてきた朝鮮人たちは、1945年8月15日祖国解放の喜びを迎え、雪崩を打つ勢いで帰国しました。
ポツダム宣言の受諾により降伏した日本政府は、日本人引揚船のみの片道利用策をとり、朝鮮人の帰国移送策を取りませんでした。よって博多、下関、仙崎港の埠頭には、野宿して船待ちする朝鮮人で埋まり、街路に糞尿があふれ病人が続出しました。自力で船を調達し帰国する朝鮮人もいました。このように解放後1年以内に帰国した朝鮮人は130万人に達しました。
一方、祖国朝鮮ではアメリカ・ソ連による冷戦構造で左右政治対立が激化し、北緯38度線を境界に南北分断という悲劇がおこりました。帰国の受入れ態勢は十分ではなく、政治・社会・経済の混乱が続き、その上天文的なインフレの祖国に、帰国を一時のばす朝鮮人、再び日本へ戻ってくる朝鮮人も相次ぎました。
以上のような理由で、200万人中、帰国せず残った70万人の朝鮮人が日本で「在日」社会を形成するようになりました。これが戦後の「在日」の始まりです。

◇解放後の日本で、在日コリアンはどのように暮らしたのですか?

在日コリアンの歴史の中で、解放後の10年が一番苦しい時期でした。
解放は差別と貧困という、新たなる苦難の第一歩でもありました。日本は敗戦により軍需産業の停止、戦地からの日本人の引揚で、「在日」の大部分が職を失い生活難に陥りました。定職をもつ者はほとんどおらず、衣食住から教育まで自分たちで解決するほかありませんでした。日雇い労働(ニコヨン)、廃品回収業(屑屋)や、闇市での売買、どぶろく作り(密造酒)、養豚など生きるため、厳しい仕事をしながら生計を立てました。
日本政府はこれを法令違反、反社会的行為と決め、より監視と弾圧を行いました。解放後も朝鮮人に対する偏見は変わらず残り、差別を制度化し排外性を強めていきました。しかしどんなに苦しくとも「在日」は亡国の民ではなく、独立国家の海外国民として、希望を持ち続けました。民族の誇りを失わず全国各地に民族団体を組織し、「在日」の生活権の擁護、民族教育を推進拡大し、常に直面する問題を「在日」自らが解決しました。
しかし依然と続く差別と貧困に絶望した「在日」の中には、朝鮮民主主義人民共和国に希望を抱き帰国する人々もいました。北への帰国事業は在日同胞社会に大きな変化をもたらしました。高度経済成長期の影響、都市開発による朝鮮部落解体もあり、日本人への同化が加速していきました。
現在の「在日」社会は、いつか必ず故郷へ帰ることを望み、どんな辛い仕事もした在日一世から、日本で生まれ育った二世、三世へと世代交代が進んでいます。これからの国際社会の中で、主役となり得る四世、五世の時代には、アイデンティティや国籍、生活様式も多様化していくことでしょう。
差別、偏見の目に晒されながらも民族の伝統を守り伝え、祖国愛を発揮しながら固有の存在として生きたのが、戦後の「在日」でした。

◇特別永住者・「韓国籍・朝鮮籍」とは?

2022年6月現在、日本にいる「韓国籍(約41万)」・「朝鮮籍(約3万)」の人数は約44万人、その内の66%の約29万人が特別永住者です。「特別永住」とは、植民地時期に日本に渡日した一世とその子孫たちに付与される法的地位です。1980年代以降、ビジネスや留学で訪日した韓国人とは違う永住資格です。
在留カード、特別永住証明書の「国籍・地域」欄に「朝鮮」と記載されている人を「北朝鮮国籍」だと勘違いする人がいますが、違います。かつての外国人登録証明書、現在の在留カードにおける「朝鮮」表記とは、単に「旧植民地であるところの朝鮮の出身」を意味するものだからです。
1947年5月2日に外国人登録令が施行されたとき、朝鮮人は日本国籍を持っていたにもかかわらず、外国人として登録されました。その際、国籍等の欄には「朝鮮籍」と表記されました。1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立すると、その表記をめぐって様々な議論や運動が行われましたが、1965年の日韓条約批准以後、大韓民国の国籍を取得した人は、その表記を「韓国」に切り替えることが出来ました。
つまり「朝鮮」籍とは、外国人登録令が施行されたときに朝鮮半島出身者だった者とその子孫に対して、外国人登録証上で出身地を表記したもので、「朝鮮」籍イコール「北朝鮮」籍ではありません。便宜上、出身地が表記されているだけの「朝鮮籍」は「無国籍」状態と言えます。
日本で日本国籍を持たずに生きるのは、いろいろな面で不便にもかかわらず、現在も多くの「在日」が帰化をせず「韓国籍」、「朝鮮籍」を保持しています。

《在日コリアン歴史入門書》

  • 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』未来社、1965年
  • 姜徳相『関東大震災』中央公論社、1975年〔新装版:新幹社、2020年〕
  • 姜在彦『在日韓国・朝鮮人:歴史と展望』労働経済社、1989年
  • 金賛汀『在日コリアン百年史』三五館、1997年
  • 山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』創史社、2003年
  • 外村大『在日朝鮮人社会の歴史学的研究:形成・構造・変容』緑蔭書房、2004年
  • 李朋彦『在日一世』リトルモア、2005年
  • 徐京植『在日朝鮮人ってどんなひと?』平凡社、2012年
  • 民団中央民族教育委員会企画『歴史教科書 在日コリアンの歴史 第2版』明石書店、2013年
  • 民団中央本部人権擁護委員会企画『在日コリアンの人権白書』明石書店、2018年
  • 在日コリアン弁護士協会『裁判の中の在日コリアン〔増補改訂版〕』現代人文社、2022年